Artist:Plofile
チャック・レイニーはアメリカで最も仕事量の多いベーシストである。彼の伝説的なベースプレイは人気テレビ番組や映画音楽や数々の録音で知られており、彼の楽器に対しての感覚や発想は音楽を創る上で重要な役割を担ってきた。彼の独特なベースラインは多数のコマーシャルにアクセントを加え、そして今日の音楽を語る上で不可欠な存在となっている。
オハイオ州のクリーブランドでチャールズウォルターレイニー三世として生まれ、ヤングスタウンで育つ。当初はC.F. ブラウン、ジェームズ・ラムゼイとジョンブッシュによりクラッシックのトランぺッターとして教育を受けるが、テネシーのレイン大学在籍中にバリトンホーンへ移行、60年代初頭にはブラスバンドで様々なパートで参加するようになった。
兵役中にギターを学び、退役後、地元のバンドと共にプロのギタープレイヤーとしてヤングスタウンやクリーブランドで活動を始める。しかし当時やっていた彼の形式的なトレーニングは、ギターの即興的な演奏に向いておらず、彼はギターでリズム演奏しかできなかった。これを期にチャックはエレキベースへ転向する。彼の弾く単音のパターンは明らかにギタリストのときよりも価値のあるものとなった。
1962年春、アメリカ商業音楽の幕開けと同時にチャックはニューヨークへたどり着く。チャックはバーナード、パーディ、エリック・ゲイル、リチャードT、ダニー・ハサウェイ、ジョニー・グリフィン、ハーブ ラヴェルらと共にレコーディングスタジオのサイドマンとして輝かしい活動をする。彼は録音された音楽の歴史の中で最も記録され、すべてのベースプレイヤーに最も模倣されてきた人物として異論はないだろう。
1963年から71年の間、チャックはカーティス・キング、サム・クック、エタ・ジェイムス、The Coasters、ジャッキーウィルソン、ハリー・ベラフォンテ、アル・クーパー、ザ・スプリームズ、アリサ・フランクリン、ロバータ・フラック、そしてクインシー・ジョーンズなどその時代を代表するアーティストと共にツアーやレコーディングを行う。特筆すべき点は、ビートルズのアメリカでのセカンドツアーでの「キング・カーティス オールスターズ」にメンバーとして参加した事である。その後ロサンゼルスに拠点を移すきっかけとなる
1972年にニューヨークからロサンゼルスに拠点を移すまでクインシージョーンズ・ビッグバンドのメンバーとして活動し、スタジオミュージシャンとしても成長を続ける。さらに彼のユニークなベーススタイルは映画音楽・テレビ番組にも活動の場を広げる機会を与え、膨大な数のテレビシリーズやコメディドラマ、テレビ広告等の音楽を担当する事となる。彼の音楽家としての人生の中で、作曲家・アレンジャー・プロデューサーとしての地位を確立していく。
17のプラチナ・ゴールドレコード、ディーン・マーチンLife Time of Achievement’賞、ベースマガジン / ニューヨークベースコレクティブ’Life Time achievement賞、ダウンビート誌とプレイボーイ誌が選ぶ音楽投票トップ10(ベース・カテゴリー)での35年間連続ベース部門で選ばれ続けた事等が評価の対象となり、1981年、チャックはオハイオ州芸術協会から栄誉ある賞を受賞し、厳選された数少ない「音楽のサイドマン」として名を連ねた。
音楽の才能と素晴らしい人柄により、チャックはr60年代から80年代にかけてのポップス、ロック、ジャズ・フュージョンR&Bの成功への重要な貢献をした。21世紀に入っても、チャック・レイニー21世紀が始まり、チャック・レイニーは今でも現役プレイヤーとしての評価も高く、音楽界に多大なる影響を残し続けている。
チャックは長い間GENZ-BENZと関係をもってきました。80年代後期からキャビネットを使用したのが始まりです。
今日もチャックは様々なGENZ-BENZのキャビネットやアンプと共に世界中を旅し続けます。